「人間は常に四苦八苦の中で生きている」
生老病死に加え、
愛別離苦(あいべつりく・愛しき存在と別れなければならない苦)
怨憎会苦(おんぞうえく・いやな存在と出逢わなければならない苦)
求不得苦(ぐふとっく・欲しい物が得られない苦)
五蘊盛苦(ごうんじょうく・五蘊とは人体の事である。我が身の存在そのものが苦)を「四苦八苦」という・・・
五蘊とは、色、受、想、行、識。
色とは肉体や物質的な苦しみ。たとえば老化による容姿の衰えや、
容姿に関するコンプレックス。
受は感覚や印象に関する苦しみ。
例えば繊細な感受性のために苦しむこと。
想は知覚、想像で苦しむこと。たとえば妄想、取り越し苦労、心配。
行は意思や記憶で苦しむこと。
たとえば意思が弱く中毒行動がやめられないこと。
識は認識や意識で苦しむこと。
たとえば罪の意識、低い自己評価、プライドの高さに苦しむこと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ということですと^^
まさに、生きていること、人間であることは苦じゃ^^;
こういうことを知って、絶望するか、
それとも、しゃーないと感じるか。
或いは、「そうなんや。ほなこんな自分でええんや」
と楽観するか^0^
「苦」が、自分だけのものではない、自分由来ではない、
と知れば、楽観もできよう。
なにせ、釈迦が「人間とは苦」といわはってんから。
なるほど。
昨夜の深酒も、三日坊主どころではないウォーキングも、
このメタボな腹も、丸坊主しかないヘアスタイルも、
イヤごとを言うたと自己嫌悪に陥っても、
全部、僕個人の問題ではない、人間だもの!か^0^
ええ話やなぁぁあ^0^
2009年09月25日
2009年08月31日
2009第45回衆議院選挙
それが小選挙区制だからか。
前回、今回と、この「根こそぎ感」はなんやろう?
まるで昨今の大雨のような。
もちろん、有権者それぞれが考えて投票した結果。
それは民意ということやが。
民意はどこまで正しいのやろうか?
民意は誘導されていく危険性をいつも孕んでいるのなら、
成熟した有権者なんてものは夢物語なんやろか。
そして僕は成熟した有権者なんやろか。
そもそも成熟した有権者、国民てなんやろか。
国民の質が政治家の質やと言います。
マスコミの質も国民の質でありましょう。
テレビ局の連中は、高学歴で、知識がある者はあり、
考えている者は考えています。
しかし、悲しいかな会社であります。組織であります。
日本人的に右見て左見て、結局動かない、
という傾向を地方局の連中を仕事をしていて感じます。
動く、動こうとするタイプは、少なくとも組織の王道を
歩いてはいないようです。
みんなまともなことを言います。
東京発のテレビの中の人達もまともなことを言うてます。
たぶん言うてます。
しかしほぼ「全体の流れ」に乗っかった意見に聞こえます。
誰が言うても同じような、
或いは、どこかで誰かが言うてきたことが、
ただ増幅され、繰り返され、まるで世論が出来上がって
いくようです。
メディアとは、思想の、言葉の反復装置、増幅装置、
ということでありましょうか。
そして結局誰が言ったかは分らなくなって
言葉や思想が、まるで信認を受けたかのように
歩き出したりするようです。
「民主320議席獲得か?」などという「事実報道」が
もしなかったら、
僕等はどんな投票行動をしていたのでしょうか?
選挙をもっとニュートラルなもの、
有権者にすら「問うもの」として機能させるのは、
「選挙予想報道」なるものはしてはいけないんじゃないか?
それよりも、候補者が何を考え、この国をどうしていきたいのか、
有権者が選ぶことができうる「情報」を報道して欲しいと。
選挙を祭化しているように思えてなりません。
マスコミにとっても、豊年満作を祈る儀式のような。
今回も私は、「投票すべき候補者」を決定する情報が
ほぼないまま投票せざるを得なかった。
HP?広報用のチラシ?
実際に候補者に会って話す?
自分にできることはもちろんあるでしょうが、
どうも現実的でもない。
広報された内容がどこまでリアルなのか、
さらに何処まで理解できるのか。
ローカルテレビの選挙前報道、MY選挙区の候補者紹介は、
夕方のニュース枠でしかやりません。
それももちろん全員ではない。
視られへんがな。
NHKの政権放送?
なんであんな話を聞かされなアカンねん。
あの古臭さはなんやろ?
いつの時代の「画期的」な方法やねん。
立候補者と「近く」なるには、
日頃から政治活動に関るしかありません。
さて、そうするにしても誰を選べばええのやら。
テレビの仕事をしているものとしては、
それもローカルでやっているものとしては、
関西の放送局に、中央的な感覚ではなく、
何かやりようがあるやろうと期待するのですが。
無理やろな。
無理・・・かぁ。
前回、今回と、この「根こそぎ感」はなんやろう?
まるで昨今の大雨のような。
もちろん、有権者それぞれが考えて投票した結果。
それは民意ということやが。
民意はどこまで正しいのやろうか?
民意は誘導されていく危険性をいつも孕んでいるのなら、
成熟した有権者なんてものは夢物語なんやろか。
そして僕は成熟した有権者なんやろか。
そもそも成熟した有権者、国民てなんやろか。
国民の質が政治家の質やと言います。
マスコミの質も国民の質でありましょう。
テレビ局の連中は、高学歴で、知識がある者はあり、
考えている者は考えています。
しかし、悲しいかな会社であります。組織であります。
日本人的に右見て左見て、結局動かない、
という傾向を地方局の連中を仕事をしていて感じます。
動く、動こうとするタイプは、少なくとも組織の王道を
歩いてはいないようです。
みんなまともなことを言います。
東京発のテレビの中の人達もまともなことを言うてます。
たぶん言うてます。
しかしほぼ「全体の流れ」に乗っかった意見に聞こえます。
誰が言うても同じような、
或いは、どこかで誰かが言うてきたことが、
ただ増幅され、繰り返され、まるで世論が出来上がって
いくようです。
メディアとは、思想の、言葉の反復装置、増幅装置、
ということでありましょうか。
そして結局誰が言ったかは分らなくなって
言葉や思想が、まるで信認を受けたかのように
歩き出したりするようです。
「民主320議席獲得か?」などという「事実報道」が
もしなかったら、
僕等はどんな投票行動をしていたのでしょうか?
選挙をもっとニュートラルなもの、
有権者にすら「問うもの」として機能させるのは、
「選挙予想報道」なるものはしてはいけないんじゃないか?
それよりも、候補者が何を考え、この国をどうしていきたいのか、
有権者が選ぶことができうる「情報」を報道して欲しいと。
選挙を祭化しているように思えてなりません。
マスコミにとっても、豊年満作を祈る儀式のような。
今回も私は、「投票すべき候補者」を決定する情報が
ほぼないまま投票せざるを得なかった。
HP?広報用のチラシ?
実際に候補者に会って話す?
自分にできることはもちろんあるでしょうが、
どうも現実的でもない。
広報された内容がどこまでリアルなのか、
さらに何処まで理解できるのか。
ローカルテレビの選挙前報道、MY選挙区の候補者紹介は、
夕方のニュース枠でしかやりません。
それももちろん全員ではない。
視られへんがな。
NHKの政権放送?
なんであんな話を聞かされなアカンねん。
あの古臭さはなんやろ?
いつの時代の「画期的」な方法やねん。
立候補者と「近く」なるには、
日頃から政治活動に関るしかありません。
さて、そうするにしても誰を選べばええのやら。
テレビの仕事をしているものとしては、
それもローカルでやっているものとしては、
関西の放送局に、中央的な感覚ではなく、
何かやりようがあるやろうと期待するのですが。
無理やろな。
無理・・・かぁ。
2009年08月24日
小室哲哉復帰について
復帰が早いと批判するにしても、
温かく厳しくも支持するにしても。
リスクマネジメント的に考えるならば、
早め早めに対応、処理する・・・ということか。
確かに、来年になって謝罪されてもなあ。
「ああ、そんなこともありましたな」
来年、再びヒットチャートを賑わせる楽曲ができたとして、
そのタイミングで謝罪されても。
ファンの前で謝罪・・・を前提にするならば、
タイミングは早い方がよい・・・最近の風潮。
「罪を憎んで作品を憎まず」と誰かが言ってた。
罪を犯した途端、市場から作品を消す、なんてなあ。
あまりに情緒的すぎないか。
あまりに人の目を気にしすぎではないか。
つまり音楽は、結局商品なのである。
企業が商品を市場から引き揚げるように。
音楽も同じ扱い、同じ意識なんやな。
なら、当然か。
へえ、そういうもんかいな。哀しいな。
それでも「商品価値」としての音楽ならば仕方ないか。
アーティスト、と皆さん呼ばれてますが。
「私は罪を犯した。しかし作品は罪を犯してはいない!」
なんてセリフを吐くミュージシャンが、もしいれば・・・。
骨を感じて支持するなあ。
作品の好みは別にして。
音楽は商品・・・いや、あらゆる制作物が商品化されることで
成り立っている世の中、ということなんでしょう。
商品化=お金、という価値基準に対して、
行き過ぎはやっぱりおかしいで、というくらいの感覚を
僕は持っていたけどな。
「priceress、お金で買えない価値がある」
それがTVCMで言われるところに、
それもクレジットカードやし、
ギャグか!!
お金、欲しいなあ^^;
淡路島にスタジオ作って余裕あるくらいの。
おい!!リアルやわぁぁ^^;
温かく厳しくも支持するにしても。
リスクマネジメント的に考えるならば、
早め早めに対応、処理する・・・ということか。
確かに、来年になって謝罪されてもなあ。
「ああ、そんなこともありましたな」
来年、再びヒットチャートを賑わせる楽曲ができたとして、
そのタイミングで謝罪されても。
ファンの前で謝罪・・・を前提にするならば、
タイミングは早い方がよい・・・最近の風潮。
「罪を憎んで作品を憎まず」と誰かが言ってた。
罪を犯した途端、市場から作品を消す、なんてなあ。
あまりに情緒的すぎないか。
あまりに人の目を気にしすぎではないか。
つまり音楽は、結局商品なのである。
企業が商品を市場から引き揚げるように。
音楽も同じ扱い、同じ意識なんやな。
なら、当然か。
へえ、そういうもんかいな。哀しいな。
それでも「商品価値」としての音楽ならば仕方ないか。
アーティスト、と皆さん呼ばれてますが。
「私は罪を犯した。しかし作品は罪を犯してはいない!」
なんてセリフを吐くミュージシャンが、もしいれば・・・。
骨を感じて支持するなあ。
作品の好みは別にして。
音楽は商品・・・いや、あらゆる制作物が商品化されることで
成り立っている世の中、ということなんでしょう。
商品化=お金、という価値基準に対して、
行き過ぎはやっぱりおかしいで、というくらいの感覚を
僕は持っていたけどな。
「priceress、お金で買えない価値がある」
それがTVCMで言われるところに、
それもクレジットカードやし、
ギャグか!!
お金、欲しいなあ^^;
淡路島にスタジオ作って余裕あるくらいの。
おい!!リアルやわぁぁ^^;
2009年08月10日
子育てを支援するなら
一律的なバラマキ、はまた、何かと問題を作りそうです。
お金だけでなく、いや、お金よりも・・・ですな、
子供を育てることが素晴しい!という社会を!!
と思うわけであります。
3人目を産んだら、社会を挙げて祝福するとか、
5人以上の家庭、特に奥さんを中心に賞をあげるとか。
お金よりも、名誉を!と思うわけであります。
もちろん、子供を産み、育てることは「賞の対象」として
似つかわしくないかもしれませんが、
それでも、社会全体がもろ手を挙げて喜ぶ!
という空気は大切であります。
子供がいない夫婦が、他人の子を妬ましく感じるより、
我が事のように、微笑ましく感じる方が、
楽しい社会なのであります。
もとより、子供は親の所有物ではありませんで、
子宝とは、地域の、社会の、国の宝ということであります。
何故、宝かと言いますと、
とにもかくにも、彼らが未来を創っていくからです。
我々大人の未来を子供らに繋ぎ、そのまた子供らへ繋がっていく、
それが、動物的な種の保存本能ということであります。
何故、生きていくのか。
それは、種の保存のための一員としてです。
何故、種の保存なのか?
それは、我々も、生きとし生けるものと同じだからです。
そこに理屈の入る余地は本来ありません。
まさに、生を受けたものの本能であります。
本能に抗うことはできず、
理屈でなんとかなるものでもない、
と考えれば、気も楽になるはず。
我々人間は、余計なことを考えすぎてしまうようです。
そして、自分に子供はいなくても、
他人に子供がいれば、それでいい。
子供が生まれること自体、奇跡のような確率です。
その確率を上げるため、子供が生まれる機会を増やすため、
僕は生まれてきたのだ。
しかし、若い頃の余計な考え方が、
僕を子作りから遠ざけてしまった、
結婚というものにも余計な考えが影響してしまった、
だから、今、子供がいないのは当然である、
ひょっとすると、精子の数も、元気さも足りなかったかもしれない、
調べてないけどね。
そこに個人的な理由や、身体的な理由があろうとも、
それは嘆くよりも、受け入れるしかない、
他人の子供に対して喜びを!と思うことで
救われるだと思うわけであります。
お金だけでなく、いや、お金よりも・・・ですな、
子供を育てることが素晴しい!という社会を!!
と思うわけであります。
3人目を産んだら、社会を挙げて祝福するとか、
5人以上の家庭、特に奥さんを中心に賞をあげるとか。
お金よりも、名誉を!と思うわけであります。
もちろん、子供を産み、育てることは「賞の対象」として
似つかわしくないかもしれませんが、
それでも、社会全体がもろ手を挙げて喜ぶ!
という空気は大切であります。
子供がいない夫婦が、他人の子を妬ましく感じるより、
我が事のように、微笑ましく感じる方が、
楽しい社会なのであります。
もとより、子供は親の所有物ではありませんで、
子宝とは、地域の、社会の、国の宝ということであります。
何故、宝かと言いますと、
とにもかくにも、彼らが未来を創っていくからです。
我々大人の未来を子供らに繋ぎ、そのまた子供らへ繋がっていく、
それが、動物的な種の保存本能ということであります。
何故、生きていくのか。
それは、種の保存のための一員としてです。
何故、種の保存なのか?
それは、我々も、生きとし生けるものと同じだからです。
そこに理屈の入る余地は本来ありません。
まさに、生を受けたものの本能であります。
本能に抗うことはできず、
理屈でなんとかなるものでもない、
と考えれば、気も楽になるはず。
我々人間は、余計なことを考えすぎてしまうようです。
そして、自分に子供はいなくても、
他人に子供がいれば、それでいい。
子供が生まれること自体、奇跡のような確率です。
その確率を上げるため、子供が生まれる機会を増やすため、
僕は生まれてきたのだ。
しかし、若い頃の余計な考え方が、
僕を子作りから遠ざけてしまった、
結婚というものにも余計な考えが影響してしまった、
だから、今、子供がいないのは当然である、
ひょっとすると、精子の数も、元気さも足りなかったかもしれない、
調べてないけどね。
そこに個人的な理由や、身体的な理由があろうとも、
それは嘆くよりも、受け入れるしかない、
他人の子供に対して喜びを!と思うことで
救われるだと思うわけであります。
2009年07月20日
RADIO HAAFUUのライブ
「ラジオショー」をやって良かったようです。
RADIO HAAFUUの原点であります。
ラジオが我々とお客さんとの、
まさにメディアなのかもしれません。
打越の歌詞カード的なものをお配りしました。
ささやかなことではありますが、足りなかったことでしょう。
私がイメージする「語り歌」。
先日のライブでは、「語り」と「歌」がまだまだ独立した関係で、
もっとひとつになっていきたいと思っています。
歌、語り、トークもさることながら、
僕らにはもっとおもろいことができる、
そう強く思うことも大事でしょう。
他のライブとは違う、僕ららしい、そしてもちろん
クオリティの高いパフォーマンスを目指します。
僕らのテーマが、「愛と礼儀!涙と感謝」ならば、
それらが具体化される表現も必要でしょう。
刺激的で、心暖まるようなライブ・・・
まるで相反するようなライブをやれるようになりたい。
そう思います。
RADIO HAAFUUの原点であります。
ラジオが我々とお客さんとの、
まさにメディアなのかもしれません。
打越の歌詞カード的なものをお配りしました。
ささやかなことではありますが、足りなかったことでしょう。
私がイメージする「語り歌」。
先日のライブでは、「語り」と「歌」がまだまだ独立した関係で、
もっとひとつになっていきたいと思っています。
歌、語り、トークもさることながら、
僕らにはもっとおもろいことができる、
そう強く思うことも大事でしょう。
他のライブとは違う、僕ららしい、そしてもちろん
クオリティの高いパフォーマンスを目指します。
僕らのテーマが、「愛と礼儀!涙と感謝」ならば、
それらが具体化される表現も必要でしょう。
刺激的で、心暖まるようなライブ・・・
まるで相反するようなライブをやれるようになりたい。
そう思います。
2009年06月29日
日本のミュージシャン
いつから「アーティスト」と呼ぶようになったのか。
アーティストは芸術家のことではないか。
彼らは音楽家ではないのか。
アートは聴衆を意識するものではないのではないか。
彼らは聴衆があって初めて、ではないか。
ならば音楽家でいいではないか。
分りにくい芸術ばかりでは困りるが、
分りやすいものばかりでは芸術とは呼べないだろう。
それにしても愛だの、優しさだの、君を守るためだの、
よくもまあこれだけ同じような世界ばかりを
描くようになったものだ。
売れない歌は歌でないからだ。
歌より売れることが目的だからだ。
ストリートで立ち止まってもらうために、
分りやすい、キャッチーなものばかり、が流行歌ならば、
阿久悠の奥深さも霧散してしまったか。
長い年月を必要とするからこそ、
日本の流行音楽家はこれからが正念場か。
桑田圭佑はこの先どんあことをしてくれるのだろう。
桜井はこの先どんなことをしてくれるのだろう。
忌野清志郎は何をメッセージしたかったのだろう。
愛か?世界平和か?核のない世界か?
ならば、どうメッセージしようとしたのだろう。
日本の音楽家にもっと言葉を。
この社会を憂えるならば、その言葉を。
歌に力があるというのなら、言葉を、メッセージを。
数十億円も持っている人が、
世のために使わずして何の金か。
日本のトップミュージシャンは、もっと金を。
この社会を憂えるなら、金を。
金の力を、音楽家なりの感性で使ってくれることを!
切に願う。
アーティストは芸術家のことではないか。
彼らは音楽家ではないのか。
アートは聴衆を意識するものではないのではないか。
彼らは聴衆があって初めて、ではないか。
ならば音楽家でいいではないか。
分りにくい芸術ばかりでは困りるが、
分りやすいものばかりでは芸術とは呼べないだろう。
それにしても愛だの、優しさだの、君を守るためだの、
よくもまあこれだけ同じような世界ばかりを
描くようになったものだ。
売れない歌は歌でないからだ。
歌より売れることが目的だからだ。
ストリートで立ち止まってもらうために、
分りやすい、キャッチーなものばかり、が流行歌ならば、
阿久悠の奥深さも霧散してしまったか。
長い年月を必要とするからこそ、
日本の流行音楽家はこれからが正念場か。
桑田圭佑はこの先どんあことをしてくれるのだろう。
桜井はこの先どんなことをしてくれるのだろう。
忌野清志郎は何をメッセージしたかったのだろう。
愛か?世界平和か?核のない世界か?
ならば、どうメッセージしようとしたのだろう。
日本の音楽家にもっと言葉を。
この社会を憂えるならば、その言葉を。
歌に力があるというのなら、言葉を、メッセージを。
数十億円も持っている人が、
世のために使わずして何の金か。
日本のトップミュージシャンは、もっと金を。
この社会を憂えるなら、金を。
金の力を、音楽家なりの感性で使ってくれることを!
切に願う。
2009年06月24日
もっとライブに来てもらいたい
一昨年(07年)の秋に弾き語りデビューをし、
昨年からはナレーターライブをやり始め、
音楽ライブと語りのライブで1年が過ぎていくかのような、
そんな状況。
やはり人間は、経験が大事で、
経験を積むことでいろんなことが分ってくるし、
経験がさらに、いい経験を生んでいくのだと思う。
僕らには、もっとできることがある。
確かにラジオ番組でも持っていれば、
100人くらいの集客には困らないだろう。
しかしそんな条件がないときにこそ、
「おもしろいライブ」「楽しいライブ」、そして、
「また来たいライブ」をしていかねばならない。
その点で、「RADIO HAAFUU LIVE」には、
もっとやれることがあるだろう。
打越のギターが凄くなった。
まだまだ良くなっていくだろう。
それに合わせて、ライブパフォーマンスも良くなった。
ますます良くなるだろう。
しかし、それを手前味噌、自己満足で終らせてはいけない。
僕らには、もっとやれることがるだろう。
12日に間に合うかどうか。
いや、来年のライブを睨んで、今から組み上げていく、
そんなアプローチに、ようやくできそうです。
7月12日のライブ、是非、お越し下さい。
どこまで満足していただけるか、今の時点で約束はできませんが、
これまでとは違った空気を感じてもらえるだろうと、
そう確信しています。
だから、是非!
昨年からはナレーターライブをやり始め、
音楽ライブと語りのライブで1年が過ぎていくかのような、
そんな状況。
やはり人間は、経験が大事で、
経験を積むことでいろんなことが分ってくるし、
経験がさらに、いい経験を生んでいくのだと思う。
僕らには、もっとできることがある。
確かにラジオ番組でも持っていれば、
100人くらいの集客には困らないだろう。
しかしそんな条件がないときにこそ、
「おもしろいライブ」「楽しいライブ」、そして、
「また来たいライブ」をしていかねばならない。
その点で、「RADIO HAAFUU LIVE」には、
もっとやれることがあるだろう。
打越のギターが凄くなった。
まだまだ良くなっていくだろう。
それに合わせて、ライブパフォーマンスも良くなった。
ますます良くなるだろう。
しかし、それを手前味噌、自己満足で終らせてはいけない。
僕らには、もっとやれることがるだろう。
12日に間に合うかどうか。
いや、来年のライブを睨んで、今から組み上げていく、
そんなアプローチに、ようやくできそうです。
7月12日のライブ、是非、お越し下さい。
どこまで満足していただけるか、今の時点で約束はできませんが、
これまでとは違った空気を感じてもらえるだろうと、
そう確信しています。
だから、是非!
2009年06月17日
打越元久主演映画
金曜日にアップする「反主流」の中でも触れてますが、
渋谷区の公園に暮らすホームレスの悲哀を視て打越は、
「オレもこうなってたかも」と感じたそうな。
「間違いないわ」と肯定する僕。
「でも、ホームレスの前にヒモやってるかもなあ」と言えば、
「あるなあ」と打越。
そこで、打越主演映画構想が見えました^0^
映画を創るなんてことは無理というか現実的ではないので、
まずはシナリオを創り、語りと音楽で表現できるように
持っていきたいと思います。
テーマは夢追いながら50歳になった男の悲哀と
もう一度前へ進もうとする力、つまりは「生きる」です。
日本の映画は、ガン宣告された主人公の「生と死」を描いた
文芸作品系か、リストカットを繰り返す主人公が登場したり、
なんというか、それが現実ではあるのでしょうが、
どうも「生きる」ことがネガティブなような、
そんな映画ばかりのように感じてます。
アニメにしても、どうもネガティブやし。
ホームレスのおっちゃんらは、
自分らの境遇を嘆きながらも変えようとしない、
諦めきっている、社会を恨んでいる、色んな感情が
どこか押さえ込まれているようです。
そんな抑圧された感情を吐き出すのは、
夢などという幻想的な言葉ではなく、
目の前にある、自分にできること、やってきたことに、
もう一度命を燃やす、というようなことでしょう。
その動機として、「オレは何しとんねや?」という思いや、
それを思わせてくれる惚れた女、惚れてくれてる女、
面倒を見てくれてる女、という男の甘えがまだ許される状況、
といったものが必要なのかもしれません。
男が男であるためには、女が必要であり、
自分を必要としてくれる女が現れるには、
ホームレスをしていてはいけない、
そんな単純な、本能的な、原始的な話がなければ、
ドロップアウトした状況でどんなエネルギーがでるのかと
思います。
文芸作品は、人間の業がそれなりに表現されているとは言え、
どこか綺麗過ぎる、カッコよ過ぎるように思う。
役所広司さんは素晴しい役者さんだと思うけれど。
方や、リアリティのある作品は、さすがに身につまされる、
いや、中には視ていられないものがある、
そない追い込まれる前に・・・と若者の実体を知らない僕は
無責任にそう思うけれど、
それでも共感できない作品は、僕にとってはやはり無理でして、
それを「理解できない」といって批判される筋合いのもんでは
ないでしょう。
色んなアプローチがあっていい・・・というのが芸術ならば、
やはりどこか偏っているように僕には思える。
だからといって「打越主演映画」がどうなるかは別です。
大した作品にならず、それは才能の無さを突きつけられるだけ
かもしれませんが。
それでも、作品が「自分の思い描く世界」を具体化したものなら、
やらずにはおれない。と、思ってます。
さて、どんなものが出来上がるのか。
発表は、来年の1月下旬辺りの「HAAFUU LIVE」で・・・
ほんまに出来るかどうかは約束できませんが、
頑張ろうと思います^0^
渋谷区の公園に暮らすホームレスの悲哀を視て打越は、
「オレもこうなってたかも」と感じたそうな。
「間違いないわ」と肯定する僕。
「でも、ホームレスの前にヒモやってるかもなあ」と言えば、
「あるなあ」と打越。
そこで、打越主演映画構想が見えました^0^
映画を創るなんてことは無理というか現実的ではないので、
まずはシナリオを創り、語りと音楽で表現できるように
持っていきたいと思います。
テーマは夢追いながら50歳になった男の悲哀と
もう一度前へ進もうとする力、つまりは「生きる」です。
日本の映画は、ガン宣告された主人公の「生と死」を描いた
文芸作品系か、リストカットを繰り返す主人公が登場したり、
なんというか、それが現実ではあるのでしょうが、
どうも「生きる」ことがネガティブなような、
そんな映画ばかりのように感じてます。
アニメにしても、どうもネガティブやし。
ホームレスのおっちゃんらは、
自分らの境遇を嘆きながらも変えようとしない、
諦めきっている、社会を恨んでいる、色んな感情が
どこか押さえ込まれているようです。
そんな抑圧された感情を吐き出すのは、
夢などという幻想的な言葉ではなく、
目の前にある、自分にできること、やってきたことに、
もう一度命を燃やす、というようなことでしょう。
その動機として、「オレは何しとんねや?」という思いや、
それを思わせてくれる惚れた女、惚れてくれてる女、
面倒を見てくれてる女、という男の甘えがまだ許される状況、
といったものが必要なのかもしれません。
男が男であるためには、女が必要であり、
自分を必要としてくれる女が現れるには、
ホームレスをしていてはいけない、
そんな単純な、本能的な、原始的な話がなければ、
ドロップアウトした状況でどんなエネルギーがでるのかと
思います。
文芸作品は、人間の業がそれなりに表現されているとは言え、
どこか綺麗過ぎる、カッコよ過ぎるように思う。
役所広司さんは素晴しい役者さんだと思うけれど。
方や、リアリティのある作品は、さすがに身につまされる、
いや、中には視ていられないものがある、
そない追い込まれる前に・・・と若者の実体を知らない僕は
無責任にそう思うけれど、
それでも共感できない作品は、僕にとってはやはり無理でして、
それを「理解できない」といって批判される筋合いのもんでは
ないでしょう。
色んなアプローチがあっていい・・・というのが芸術ならば、
やはりどこか偏っているように僕には思える。
だからといって「打越主演映画」がどうなるかは別です。
大した作品にならず、それは才能の無さを突きつけられるだけ
かもしれませんが。
それでも、作品が「自分の思い描く世界」を具体化したものなら、
やらずにはおれない。と、思ってます。
さて、どんなものが出来上がるのか。
発表は、来年の1月下旬辺りの「HAAFUU LIVE」で・・・
ほんまに出来るかどうかは約束できませんが、
頑張ろうと思います^0^
2009年05月21日
淡路島であることは全国であることよ
以前、NHKの記者の方が打越に、
「淡路島で起ってることは全国で起ってますよ」
と言ったと、打越から聞いた。
以来、打越はそれを実感しながら日々を過ごしてきた。
選挙があれば、選挙が近づけば、
それがさらにリアリティを帯びる。
都会に暮らしていれば、政治家と直に話す機会などなく、
テレビのジャーナリズム「らしい」
情報、映像で判断するしかない。
テレビや新聞を介しているから客観的にもなれるし、
厭世観からも逃れられているのかもしれない。
「直に見たら嫌になるで」
「ま、おかげで都会におったら見れんもん見れるけど」
様々な思いが交錯している打越。
実際の政治の場からは遠いが、
何か事を進めていこうとすると見えるものは、
きっと日本中の組織、グループで起っていること、
と僕は想像している。
ネット内で起っていることも、
それはネット独自のものではない。
人間は、やはり好き嫌いで動く。
ロジカルシンキングなんて、論理的なんて、
情緒には勝てない。
論理が実行するのは、情緒を動かす時だ。
我々は感情的な動物である。
論理を磨くより、豊かな感情を育むべきだ。
偏った感情にコントロールされないためにも。
「淡路島で起ってることは全国で起ってますよ」
と言ったと、打越から聞いた。
以来、打越はそれを実感しながら日々を過ごしてきた。
選挙があれば、選挙が近づけば、
それがさらにリアリティを帯びる。
都会に暮らしていれば、政治家と直に話す機会などなく、
テレビのジャーナリズム「らしい」
情報、映像で判断するしかない。
テレビや新聞を介しているから客観的にもなれるし、
厭世観からも逃れられているのかもしれない。
「直に見たら嫌になるで」
「ま、おかげで都会におったら見れんもん見れるけど」
様々な思いが交錯している打越。
実際の政治の場からは遠いが、
何か事を進めていこうとすると見えるものは、
きっと日本中の組織、グループで起っていること、
と僕は想像している。
ネット内で起っていることも、
それはネット独自のものではない。
人間は、やはり好き嫌いで動く。
ロジカルシンキングなんて、論理的なんて、
情緒には勝てない。
論理が実行するのは、情緒を動かす時だ。
我々は感情的な動物である。
論理を磨くより、豊かな感情を育むべきだ。
偏った感情にコントロールされないためにも。
2009年05月11日
日本、日本人、世界、そして未来
大層なタイトル・・・^^;
様々な人が、様々なことを考え、実践し、
さらに色んな意見や考えと交錯しながら世の中は動いています。。
みんなは、どんな世の中がいいと思ってるんやろう?
私は毎日を結構生き生きと生きています。
少々の問題に当ることもありながら、
少々、ブルーになる日もありながら、
現状に危機感を抱きながら、
未来を憂いつつ、しかし未来をまずは信じながら、
仕事終わりのビールを「美味い!!」と感じながら、
寝つき悪いなあ、物忘れヒドない?と心配しながら、
体調ええのか悪いのかわからんわ、と言いながら、
寂しさも、喜びも、悲しさも、怒りも感じながら、
そして「幸せやで」と自覚しながら生きています。
政治のこと社会のことをとやかく考えず、
テレビで事件報道を視て「恐いなあ」と思っても、
政治家の体たらくに「しっかりせい!」と突っ込んでも、
今日一日が、滞りなく終わり、
時に日常とは違うことを望み、
これといって病気もせず、
居心地のいい愛情を感じ、
それなりの生甲斐や楽しみももっている、
そんな暮らしがあり、
ある程度それが保証されているように思える、
そんな世の中なら言うことはないわけです。
特に国家の体制も変わることなく、
外国から侵略されることもないと安心できるなら、
それこそ田舎で暮らし、
家族が食べるくらいの食物を作りながら、
合わせて「それなりの収入」を得る方法を持っていれば、
田舎暮らしってええで!農作業もオモロイわ!
と「ええ顔つき」にもなりましょう。
田舎暮らしをせずとも、
かつてあった終身雇用という安定感、
総中流社会が共有していた感覚、
「あの頃」をノスタルジックに回想しがちですが、
おそらくそれは単なる「過去」ではないのでしょう。
もちろん、いつの時代にもなんやかんやと、
社会にも個人にも起る。
政治家や、保険会社が「安心」を売りにしてたりしますが、
それほど今は「安心」がない。
「知らぬが仏」で済まないほど情報はバンバン入ってくる。
「不安製造」してるかのような世の中でもあります。
みんなは、どんな世の中がいいと思ってるんやろう?
人それぞれの生き方や考え方があるにせよ、
やはり安定感を感じる世の中が、とにもかくにも
基本としてあるのがいいのやないか?
ならばどう安定的にしていくのか?
それには価値基準の大きな転換、変化が必要だと
私はそう思います。
それも、「誰かがやってくれる」のを待つのではありません。
オバマ大統領のようなリーダーを望んでしまいますが、
「誰かを待つ」心理状態が大半を占めていれば、
とんでもない詐欺師に引っかかってしまいそうです。
どんな世の中を望むのか?は、
どんな生き方を選ぶのか?ということでしょう。
若い時に描いた夢が実現した、
その後をどうするか?
夢破れ、ここまで生きてきた、
ならば、これからどう生きていくのか。
少なくとも「選ぶ自由」がある国に
我々は暮らしています。
様々な人が、様々なことを考え、実践し、
さらに色んな意見や考えと交錯しながら世の中は動いています。。
みんなは、どんな世の中がいいと思ってるんやろう?
私は毎日を結構生き生きと生きています。
少々の問題に当ることもありながら、
少々、ブルーになる日もありながら、
現状に危機感を抱きながら、
未来を憂いつつ、しかし未来をまずは信じながら、
仕事終わりのビールを「美味い!!」と感じながら、
寝つき悪いなあ、物忘れヒドない?と心配しながら、
体調ええのか悪いのかわからんわ、と言いながら、
寂しさも、喜びも、悲しさも、怒りも感じながら、
そして「幸せやで」と自覚しながら生きています。
政治のこと社会のことをとやかく考えず、
テレビで事件報道を視て「恐いなあ」と思っても、
政治家の体たらくに「しっかりせい!」と突っ込んでも、
今日一日が、滞りなく終わり、
時に日常とは違うことを望み、
これといって病気もせず、
居心地のいい愛情を感じ、
それなりの生甲斐や楽しみももっている、
そんな暮らしがあり、
ある程度それが保証されているように思える、
そんな世の中なら言うことはないわけです。
特に国家の体制も変わることなく、
外国から侵略されることもないと安心できるなら、
それこそ田舎で暮らし、
家族が食べるくらいの食物を作りながら、
合わせて「それなりの収入」を得る方法を持っていれば、
田舎暮らしってええで!農作業もオモロイわ!
と「ええ顔つき」にもなりましょう。
田舎暮らしをせずとも、
かつてあった終身雇用という安定感、
総中流社会が共有していた感覚、
「あの頃」をノスタルジックに回想しがちですが、
おそらくそれは単なる「過去」ではないのでしょう。
もちろん、いつの時代にもなんやかんやと、
社会にも個人にも起る。
政治家や、保険会社が「安心」を売りにしてたりしますが、
それほど今は「安心」がない。
「知らぬが仏」で済まないほど情報はバンバン入ってくる。
「不安製造」してるかのような世の中でもあります。
みんなは、どんな世の中がいいと思ってるんやろう?
人それぞれの生き方や考え方があるにせよ、
やはり安定感を感じる世の中が、とにもかくにも
基本としてあるのがいいのやないか?
ならばどう安定的にしていくのか?
それには価値基準の大きな転換、変化が必要だと
私はそう思います。
それも、「誰かがやってくれる」のを待つのではありません。
オバマ大統領のようなリーダーを望んでしまいますが、
「誰かを待つ」心理状態が大半を占めていれば、
とんでもない詐欺師に引っかかってしまいそうです。
どんな世の中を望むのか?は、
どんな生き方を選ぶのか?ということでしょう。
若い時に描いた夢が実現した、
その後をどうするか?
夢破れ、ここまで生きてきた、
ならば、これからどう生きていくのか。
少なくとも「選ぶ自由」がある国に
我々は暮らしています。







